ジブリ『ゲド戦記』を観てみた!原作ファンが語る映画の魅力と物足りなさ

映画

みなさん、こんにちは! 今日は2006年に公開されたジブリ映画『ゲド戦記』についてまとめてみました。

この映画、宮崎駿監督のご子息・宮崎吾朗さんの初監督作として話題になりましたよね。わたし自身、アーシュラ・K・ル=グウィンの原作「ゲド戦記」シリーズが大好きで、ジブリが映画化すると聞いたときは正直ドキドキものでした。「あのジブリが、あの難解なファンタジーに挑むの!?」って感じで。

今回はそんな『ゲド戦記』を、原作愛とジブリ愛の両方を持つわたしの視点で、正直に語っちゃいます!

そもそも原作「ゲド戦記」ってどんな話?

まず原作について簡単に説明しておくと、「ゲド戦記」は1968年の『影との戦い』から始まる、全6部作のファンタジーシリーズです。私が初めて読んだのは中学生の頃。当時はその深さを全然理解できていませんでしたが、大人になって読み返すと「うわ、こんな哲学的な話だったの!?」と驚きました。

物語の舞台は「アースシー」という無数の島々が点在する世界。主人公のゲド(ハイタカ)という魔法使いを中心に展開するんですが、ただのファンタジー小説じゃないんですよね。「真の名」という概念や「バランス」の思想など、哲学の要素がふんだんに盛り込まれています。

学生時代に読んだときは「冒険ものの小説」としか思っていなかったけど、大人になって読み返すと「人生の教科書か!?」と思うくらい深い。きっと年齢や経験によって、同じ本から得るものが違うんだと思います。

ジブリ『ゲド戦記』の誕生

スタジオジブリの『ゲド戦記』映画化は、鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿が1980年代初頭から温めていた構想でした。当初は許可が下りず、『風の谷のナウシカ』を制作することになりました。

それから約20年後、ついに朗報が!原作の翻訳者から、原作者のル=グウィンが宮崎駿による映画化を希望している!という連絡がきました。

しかし、当時『ハウル』制作中だった宮崎駿は年齢を理由に躊躇。そこで、鈴木プロデューサーは研究チームを結成し、原作の第3巻を中心に映画化を検討。そこで宮崎駿監督の長男:宮崎吾朗さんが中心的役割を担うようになり、彼を監督に抜擢する決断をします。

宮崎駿さんは息子の監督起用に強く反対しましたが、吾朗が描いた「竜と少年」のイメージ画に感銘を受け、最終的に同意。その後、アメリカへ渡り、原作者ル=グウィンに会見しました。

この会見で宮崎駿さんは、原作への深い敬愛と自分の全作品が『ゲド戦記』の影響を受けていることを告白。年齢を理由に自身の監督は辞退するものの、息子とスタッフが新たな視点で作品を作ることを熱心に訴え、ル=グウィンから宮崎吾朗監督での映画化許可を得ることに成功しました。

こうして『ゲド戦記』は宮崎吾朗初監督作品として、正式に製作がスタートしています。

映像としての『ゲド戦記』:美しいけど何か足りない?

ジブリ映画『ゲド戦記』の映像面に対する評価は人によって大きく分かれているようです。一方では「さすがジブリ、高品質な作画」と称賛する声や「テルーが龍になるシーンはめちゃくちゃカッコいい」という感想もあります。

しかし厳しい意見も少なくありません。背景美術は「クロード・ロラン風」という新たな試みがなされましたが、「あまり成功していない」と評されることも。「いつもより絵が粗い」という指摘や、「クモのキャラクターが突然変わりすぎて作画崩壊している」という批判の声も上がっています。

特に目立つのが宮崎駿監督作品との比較です。駿監督の映画には「どんなに地味な場面でも必ず驚かせるような素晴らしいショットがある」のに対し、息子の吾朗監督による『ゲド戦記』にはそれが欠けているという指摘があります。

結局のところ、「ジブリ最大の強みであるはずの背景美術」の新しい挑戦が思うように実を結ばず、「これまでのジブリの弱点はそのままに、強みまで失ってしまった」という厳しい総評が多いようです。

ただ、好きという声もあるので、やはり人それぞれの感じ方なのかもしれませんね。

『ゲド戦記』の原作と映画の違いは?

主人公の違い

原作「ゲド戦記」では魔法使いのゲドが主人公として物語が展開されていますが、ジブリ映画版では、アレン(レバンネン)が主人公となっています。

原作においては、ゲドはすでに成熟した大賢者として魔術学校ロークを統括しており、そこへ世界に起きている不可解な異変を憂慮したエンラッド国から若き王子アレンが派遣されてくるという形で二人は出会います。

この設定変更は、映画版と原作との大きな相違点の一つとなっています。

ストーリーの違い

映画『ゲド戦記』は原作全6巻のうち、主に第3巻「さいはての島へ」をベースにしていますが、多くの改変がなされています。

最も大きな違いは、「父親殺し」の設定。映画ではアレンが「父殺し」をするという衝撃展開があるんですが、実は原作では全然そんなことなくて、二人の関係はむしろ良好なんですよね。

こんな感じで、ジブリ版はキャラクターの性格から重要な出来事まで、原作とはかなり違う独自路線で作られています。

同じ「ゲド戦記」でも別物と思って見た方がいいかもですね!

物語の構成

ジブリの『ゲド戦記』は、原作からいろんな要素を少しずつ取って、一つの鍋に放り込んで煮込んだような映画なんですよね。宮崎駿さんの別作品「シュナの旅」のエッセンスまで混ざっていて、これが原作との大きな違いを生み出した理由の一つと言われています。

映画製作陣は「現代の観客にも響くように、今風にアレンジした」みたいなことを言ってたらしいんですが… そのせいか、原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンさんはこの改変を見て、微妙な反応だったとか…

宮崎吾朗監督、初陣は荒波だった…

ジブリ映画『ゲド戦記』は公開直後から「ブーイングの嵐」が巻き起こるという波乱の船出を経験しました。

多くの観客が「監督の頭の中だけで話が展開している」と感じたようです。アレンが父親を刺す動機や物語の重要な出来事への説明が不足しており、ストーリーが分かりづらいという指摘が目立ちました。

演技面では「声優の不在」が問題視され、特にヒロインのテルー役の演技が「棒読み」と評されることも。映像面では、背景美術の「クロード・ロラン風」という新たな試みが不評に…

一方で肯定的な評価も存在し、「個人的にはすごく満足できる作品だった」という意見や、宮崎吾郎監督の「ガッツがある!」「自分の表現したいものに懸命に挑戦している姿勢」を評価する声もありました。

総合すると「これまでのジブリの短所を引き継ぎながら、長所まで失ってしまった」という厳しい評価がある一方、「全体としては悪くないけど、細部を気にすると腑に落ちない、そんな映画」という見方もあります。

興行的には76億円強の収入を上げ、宮崎駿作品ほどの大ヒットではなかったものの、商業的には成功したと言えるんじゃないでしょうか?!

あの宮崎駿監督の息子の初監督作品としての期待が大きすぎたのが、不評の一因になってるんじゃないですかね。そうでなければ、ここまで言われることもなかったんじゃないかなぁ と個人的には思います。

結局、ジブリ版『ゲド戦記』はどう評価すべき?

正直なところ、『ゲド戦記』は完璧な映画化とは言いがたいです。原作の魅力を十分に伝えきれなかった部分は否めないし、ストーリーが分かりにくいという批判も理解できます。

でも、「失敗作」と切り捨てるのも違うんじゃないかな、というのが私の考えです。確かに原作の深い哲学性は薄まってしまいましたが、「アースシーとはこんな世界」という視覚的なイメージを多くの人に伝えたという功績はあると思います。

そして何より、この映画をきっかけに原作を読んだ人がいることは間違いありません。そう考えると、入口としての役割は果たしていたのかなと。

個人の好みもあると思いますが、私的には普通に良作かな というのが正直な評価です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました