今や多くの家庭で愛用されている、驚異的な吸水性を誇るタオル「エアーかおる」。
このヒット商品を世に送り出したのが、浅野撚糸の社長・浅野雅己さんです。
教師からタオルメーカーの社長へと転身し、伝統産業に革新をもたらした浅野さんの人生には、数々の転機がありました。
本記事では、エアーかおるを生み出すまでの浅野雅己さんの半生と、彼のキャリアを形作った5つの重要な転機について紹介します。
浅野雅己の経歴 – 教師から革新的経営者へ
浅野雅己さんは、教職から企業経営へと転身し、成功を収めた経歴の持ち主です。
現在は経営者としての活動に加え、著作や講演を通じて自身の経験や知識を広く共有しています。
- 名前:浅野 雅己(あさの まさみ)
- 生年月日:1960年
- 出身地:岐阜県安八町
- 経歴
- 教員として勤務
- 小学校教員:3年間
- 中学校教員:1年間
- 企業人としての歩み
- 1987年(27歳):家業の浅野撚糸株式会社に入社
- 1995年(35歳):浅野撚糸株式会社の代表取締役社長に就任
- 2006年:株式会社キャリアリンクを設立し、代表取締役社長に就任
- 2014年:株式会社キャリアリンクの東証一部上場を達成
- 教員として勤務
第一の転機:二つの夢を抱いた少年時代
浅野雅己さんは1960年、岐阜県安八町に生まれました。
幼少期から活発なタイプで、弱い者を守ったりと、周囲から信頼を集めるリーダー的存在だった浅野さんは、二つの夢を抱いていました。
一つは「社長になること」、もう一つは「体育教師になること」。
一見かけ離れた二つの夢ですが、どちらも「人を導く」という共通点があります。
この二つの夢が、後の浅野さんの人生の舵取りに大きな影響を与えることになります。
第二の転機:教育者への道を選ぶ
高校時代はバレーボールに打ち込んだ浅野さん。その情熱をそのまま進路選びにも注いで福島大学教育学部へ飛び込みました。体育教師になるという夢への第一歩です。
大学生活は決して楽じゃなかったようですね。一人暮らしの家計を支えるため、トラック運転手やバーテンダーなど、いろんなバイトを掛け持ちしていたそうです。
当時は「お金のため」と思っていたこれらのアルバイト経験が、将来の経営者としての腕を磨く絶好の修行になっていたんじゃないでしょうか。
教育学部の学生が異業種のアルバイトを経験し、それが後の経営センスを磨く——
こんな異色の経歴を見ると、専門分野に固執せず、様々な経験を積むことの大切さを教えられますね。
浅野さんのように「一見無関係な経験」が後の人生で花開くかもしれない…
そう思うと、日々の何気ない体験も大事にしないといけないと感じますね!
第三の転機:教職から家業へ
大学卒業後、浅野さんは夢だった教職に就き、岐阜県で小学校教員として3年間、中学校教員として1年間勤務。教育者として充実した日々を送っていました。
でも、ここで予想外の転機が訪れます。
教育者として歩み始めた浅野さんの心に変化をもたらしたのは、実は父親の姿。家業の浅野撚糸を切り盛りする父の多忙な背中を見て、
幼い頃からの「もう一つの夢」が再燃。俺も社長になりたい!
27歳という若さで、安定した公務員の道を捨てるという決断をした浅野さん。
周囲からすれば「もったいない」と思われたかもしれませんが、この思い切った選択こそが浅野さんらしさなんじゃないかな?と思います。
これは単なるキャリアチェンジではなく、家業を受け継ぐという重い決断でした。
第四の転機:経営危機との闘い
浅野さんが家業に飛び込んだ80年代後半から90年代にかけては、日本の繊維業界にとっては超がつくほどの激動期だったそうです。
安い海外製品に市場を席巻され、「メイド・イン・ジャパン」の繊維メーカーは次々と姿を消していきました。
浅野撚糸も例外ではなく、風前の灯火状態だったんでしょうね。そんな中、1995年に35歳の若さで社長に就任した浅野さん。
こんな過酷な状況の中、自分だったら怖くて足がすくむところ。。
ですが、浅野さんはまったく違う反応を見せました。「このままじゃダメだ、下請けから脱却するぞ!」と、危機をチャンスに変える決断をしたんです。
すごいなと感じるのは、その逆境から何かを学び取ろうとした姿勢。「諦めない心」と「変化を恐れない勇気」。
これは、本やセミナーで学ぶより、実践の中でこそ身につくものなんでしょうね!
「ピンチはチャンス」なんて言葉、よく聞きますが、実際にそう行動できる人はほんの一握りだと思います。少なくとも私には無理。。すぐ諦めます(笑
本当の経営者は「逆風が吹く時」に作られるのかもしれませんね。浅野さんの姿勢から、私たちも何か学べることがあるかもしれません!?
第五の転機:エアーかおるの誕生
「会社を救うヒット商品を作らねば」──そんな切迫した思いから誕生したのが、今や多くの家庭で愛用されている「エアーかおる」です。
浅野さんが開発した「エアーかおる」は、従来のタオルの概念を根底から覆す革命的な商品でした。
でも、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったようです。何度も失敗を繰り返し、「そんな変わったタオル、誰が買うんだ」という周囲の冷ややかな視線を浴びながらも、浅野さんは自分のビジョンを信じ続けたんですね。
結果として「エアーかおる」は大ヒット商品となり、浅野撚糸は単なる下請け企業から、独自ブランドを持つ強い企業へと生まれ変わりました。
さらに浅野さんは繊維業界だけに留まらず、2006年にはキャリアリンクを設立し、なんと2014年には東証一部上場まで成し遂げています。
浅野雅己から学ぶこと
浅野雅己さんの半生からは、多くのことを学ぶことができます。
- 二つの夢を持つことの価値 …一見異なる夢でも、その根底にある価値観は繋がっている
- 決断力の重要性 …安定を捨てて新たな道に進む勇気
- 逆境をチャンスに変える力 …経営危機を製品革新のきっかけに
- 諦めない心 …数々の失敗にもめげず、信念を貫く精神
- 人を大切にする経営 …教職で培った「人を育てる」視点
タオルというシンプルな日用品から革命を起こした浅野さん。どんな業界でも革新の可能性があることを教えてくれますね!
講演活動と著作を通じた社会貢献
経営者としての成功を収めた浅野さんは、自らの経験や知恵を社会に還元する活動にも力を入れています。
「人生逆転の法則」「人生を変える 奇跡の言葉」など複数の著書を出版し、その知見を広く共有しています。
教育者としての原点を忘れず、人を育て、導くという使命感は、ビジネスの成功後も変わることなく浅野さんの核となっているようです。
テレ東「カンブリア宮殿」に、浅野雅己さんが出演
3月6日(木) 23:06~ 放送のテレ東「カンブリア宮殿」に浅野雅己さんが出演!

まとめ
教員から大胆に転身し、「エアーかおる」を生み出した浅野雅己さん。その半生は「変化を恐れず、信じた道を進む」という浅野さん自身の言葉そのものですね。
教育現場で培った「人を大切にする心」を経営にも活かし、幾多の困難を乗り越えてきました。安定を捨てる勇気、批判に負けない信念、そして常に新しい挑戦を続ける姿勢。
そんな浅野雅己さんがこれから何を成し遂げるのか?注目ですね!
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